超一流になるのは才能か努力か?

2017.01.16 社長日記

ベクトル上へ↗

皆さん、おはようございます。

いつもお読みいただきありがとうございます。

上記のタイトル。これで、答えは才能、と言われたらツライですよね?

印象に残ったところを列挙します。

・古代より、特定の分野における個人の潜在能力は、必然的に、また不可壁的、生まれ持った才能によって決まってしまうものだと考えられてきた。

・こうした見方に立つと、われわれは音楽の才能、スポーツの才能、ビジネスの才能など、いろいろな潜在能力を決まった量だけもって生まれてくるのであり、どれを伸ばすかを選択することはできるが、どの「カップ」もへりまでしか満たすことはできない、ということになる。

・そう考えると教育や訓練の目的は、その人が潜在能力の上限に到達する、すなわちカップをできるだけ満杯にするのを助けることとなり、限界があらかじめ決まっているという想定に基づく学習方法が採られるようになる。

・だが今では、能力の規定量などというものは存在しないことが分かっている。

・脳には適応性があり、絶対音感をはじめとする能力は、あらかじめ存在していなかったとしても訓練によって生み出すことができるのだ。

・これは従来の常識を覆した。なぜなら、いまや学習は人々が生まれ持った能力をうまく使えるように導くためのものではなく、新たな能力を生み出す手段となったからだ。

・そうなると次の問題は、どうすればそんなことができるのか、だ。

・心から強く念じ、努力さえすれば、技能を向上できるという印象を受けることがままある。

・「努力しつづけなさい、そうすれば目標を達成できるよ」と。

これは間違っている。

・正しい訓練を十分な期間にわたって継続することが向上につながるのだ。それに尽きる。

 

超一流を目指して、自分の能力を少しだけ超える負荷をかけつづけ、一人で没頭する時間を確保することも必要。

これ以上集中できない、と思った時点で練習や勉強は打ち切ってもいいし、オンとオフの時間をはっきり分け、スケジュールを組むことの必要性。

どんな能力も生まれつきの才能ではなく、学習の量と質で決まる、と。

超一流を目指して、正しい努力をしていきましょー^^