お別れ

2020.07.11 社長日記

2日(木) 

享年77歳。父が永眠しました。

「団塊世代」の少し上になる、昭和18年生まれの父は大学を卒業した後、60歳の定年を迎えるまで一つの企業で働き、その後、子会社の役員として65歳まで社会で活躍しました。

「企業戦士」として若い時は東京本社を皮切りに主要支店への転勤を何度も経験し、高度経済成長の一端を牽引してきました。本当によく働いてくれたと思います。

私の父は現役で仕事をしている時は仕事が終わった後は必ず外で食事して飲んで自宅に帰って来るので、私が子どもの頃は平日夜に父と食事した記憶はありません。いい意味で「会社人間」だったのだと思います。

厳しく育てられた父は私や妹に対してほんと、何も言わなかった。

学校のこと、友達のこと、日常生活のこと。

「学校の勉強はどう?」とか

「どこの高校を受験すの」とか

「大学はどこにするの?」とか。

何も言わず、見守ってくれていたのだと思います。

私がやりたい、と言った習い事は全部やらせてもらった。

小学生の頃は水泳、そろばん、英会話教室。

中学に入ると塾。高校では予備校、夏季・冬期講習。あまり行かなかったけど・・・そうそう、模擬試験も何度か受けた。勉強に関するものは何でも買ってくれた。参考書に過去問、予想問題集等。赤本もたくさん買った。何度か父と二人で書店に行ったことを覚えています。

平日はほとんど顔を合わせない分、ゴルフに行かない週末はよくいろんなところに連れて行ってくれた。国内旅行に海、山、その他観光名所もたくさん。

物言わず、たくさん応援してもらった。

社会人としての一歩を踏み出す時、手紙と小遣いを持たせてくれたなぁー。短い一言。「困った時はいつでも連絡するように。頑張れ」と。その手紙は今でも大切にしてる。

真面目な人でした。心のサイズの大きい、愛のある人。利他の心をもって周りの人たちに接し、自分のことはさておき、と。だから友人、仲間が本当に多い。父が亡くなり通夜、告別式の時に改めて思いました。遠方からでも駆けつけてくれる人たちが200人以上もいるってすごい、と思う。

あたり前のようにいてくれた父。私は子どもの時から心の底では感謝をしながらも照れくさくてその気持ちをなかなか口に出せませんでした。そして、二度と会えなくなってからもっと「ありがとう」と伝えておけばよかった、と。。。

言葉にして直接は伝えられなかったけど、父から受けてきた愛情は着実に受け継がれていると思います。私も子どもたち、大切な人を愛し、守っていきます。

尊敬するお父さん。どうぞ、天国でゆっくりと身体を休めてください。そして母を、私たちを見守ってください。今までありがとうございました。これからもよろしくおねがいします。

合掌